精神科病棟はスペシャルじゃないからさようなら

firefoxのトラブルで更新が止まっていました。悔しいけどブラウザを遂に変えました。

さても、近日の着想。

 

今更ながら、あの例の漫画の「統合失調症は自我がなくなる病気です」と言う偏見。未だに許すわけには行かないものですが、しょせん漫画なのかと思ってもいます(読んでない)。どうせ医療の世界と言っても複雑怪奇な人間社会の模様を漫画の文法で表現した幾分は解像度の落ちたカブキです。

 

(正確じゃないに決まっている!!!)

 

「自我がなくなる」を「人格の一貫性」に置き換えると分ります。

人格の一貫性が崩れる原因は、たとえばパワハラに屈してねじ伏せられた。

あるいは、本人の編集能力が足りなくて起こった事態を整理整頓できない、などです。

それぞれ、体力の無さが原因、知力の無さが原因、と分類できるでしょう。

(体力があれば、社会性を失っても殴り返したりして当人の「心の平安」つまり「行動指針の一貫性」は守れる。)

 

後は、神経の変性が原因とされる様な錯乱かも知れないが、それが一過性のものでしか無いことが現在は明らかです。稀に錯乱したままの世界に住んでいる患者をかつて見ましたが、個人的には、「知力が原因」系なのは明らかだと思ったものでした。どんな世界にも合併症は居て、また原因も複合的なので、一つの病気だけが精神錯乱の原因では無いから。

 

(そんなに簡単なら刑事事件のように犯人探しですべて終了だ。実際は解決しそうな犯罪被害者の多くですら、抑うつ状態などに陥っている可能性がある。)

 

私は別に自我が崩れていません。崩れたけど戻った。崩れたのは、失恋とか金をとられたとか、またはカルチャーショックだとか、友人が全員自分を騙していた内容があるだとかで血が一気に沸騰したとか、一気に襲ってきたから対処できなかったのが原因であって、他には何かマイクロ波と言いたくなる他の強力な外科的作用などを疑っている。

 

野次を飛ばされたら怒っているが、別に私は小学生の頃からゲイ予備軍みたいなのは変わらない。本当はフェティシズム程度だったかも知れないが、現在はもう確実にもっと進んだ変態みたいな位置付けにいる。実際はゲイじゃなくて女性の格好をした人が好きだから正確には違うでしょう。よく知らない。社会集団の中で行為化していないから個人の内面で止まっている。しかし、ほんの僅かとは言え身体の変化は個人の思惑程度ではない物理変化だ。

 

結局、こう言うことはスポーツや空手をしたって素因は変わらないと言われる状態に近い。人格の基底部分でインプリンティングの部分だから。空手をやれば拳が大きくなって女性の真似が難しくなるだけだ。しかし女性が好きなのは生涯変わらないでしょう。それを変えようと言うのは無駄なことで、もしやるなら、一時的に忘れさせる以外には、解決策はその人物を「失敗作」として殺すだけのことです。(芸術至上主義的な発想の人は了承出来てしまうのでしょうね。人種差別と言うよりも単に小娘みたいな発想だ。)

 

考えれば、日本文化の食事など、伝統食に近ければ、人間を内燃機関としてのエンジンに例えると、50ccのスーパーカブを育てているようなものだ。肉体労働者や空手家は750ccだから。ヒジカタの抑えはどう見てもそれくらい。750ccの食事は、量が回数が多くて半端無いか、あるいは四足動物の肉食中心だ。

 

体育大を別とすれば大学教授など、見れば女性など結構75ccや125cc程度だから。ソフトウェアが良くても、組織の力で底上がっていて、長寿を良しとする価値観だから、瞬間最大出力的なカロリーが小さい(小説蚊なんてこれはせいぜい良くても75ccちょいか125ccの何か足りない版なのは明らかで、750ccはあんまり居ない。)。言って見れば、スマホ型のカーナビがついていて、知らない特別なアプリが2つも3つも常駐している嫌な奴の典型だ。

 

結局、思い返せば予備校の絵画なんて芸大レベルでも、例え本人の心意気は岡本太郎を馬鹿にしているレベルでも、せいぜい、晩飯もアジフライ定食で足りる程度だ(アメリカ型の巨大キャンバス絵画をやらない)。格闘家は絶対にそれでは無理だからね。その違いは本当に大きい。美術系の食事は、絵画やデザインなど、50ccよりは食べているかも知れないが、250ccがいたら目立つよ。400ccがいたら相当目立つ。

 

ましてや雑誌に載るくらいレアな「オークションで買った航空機エンジンを積んだ改造チョッパーみたいな奴」なんて学生レベルでは皆無でしょう。それくらいの金持ちも稀に居る見たいに聞くけど、体格は痩せているよね。

 

後、また今考えているのは、以下の細部の整合性について。

クオリア粒度、またその持続時間 - DDLegend3’s diary

これは最初、西田哲学みたいに純粋経験の辺りから主客分離が起こる過程を想起したみたいに書いていたが、出来上がった文章はのっけから言葉足らずだったので、夢の中の不分明な自我意識みたいな程度で見立てても良いかなと放ってあった。

 

すると、夢の中と言うのは、(遺伝じゃなくて)語族的には東南アジアの一部や日本人的には特に、左脳が寝ていて右脳が噴出している状態なのだから、これは起きた状態なら、朝飯を食べたくない日、みたいなことだなぁと気がついた。

 

朝飯を食べないと、まだ体が目覚めていないので、割りと起きているのにもかかわらず右脳の表出が起こるのじゃないかと想像しますね。まぁ、50cc的な発想に過ぎないのだけどさ。

 

そこから紐解いて、言語によって記憶が去来し、循環すると言う「とらわれの状態」は、このクオリアを仔細に写し書くのに最適かどうか考え直していました。脳をスキャンせずに内観的な方法と専門書のあわせ読みで空想してもかなり脳の処理系の実態に迫れそうだと感じます。お嬢様小説的な文学風量子力学みたいに。