クオリア粒度、またその持続時間

<最初に注記より>

※ 幾たびこの言葉が脳裏を去来したか分らない。もうこれで3度目だ。突然にして聞いたことも無いこの言葉が浮んでは消えて歯がゆい思いをする。日本語の異質性について語る小学生時代の背景接触から、今日でも偏見にまみれていない真実性の高いものを抽出すると、この言葉などがその説明の為に自分の中で新たに選ばれる。これは私が卑怯なのではなく、あきらかに東京の一角がそう言う姿勢で文化発信し続けているからである(?)。

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自他の境界未だ不分明な意識の注意集中が起こるその直前、テクスチャー量子(※)としてのクオリアについて思案すれば、そこにディティールのアトムを創発する場としての共時性を見ることが出来ないか?

 

例えば色覚細胞におけるクリプトクローム1型のような量子揺らぎなどを起こす仕組みがあれば、クオリア量子は光子一個一個のレベルにまでその振る舞いの源泉を辿らねばならず、およそカオス理論では説明できそうも無いと素人目には思える。

 

ひょっとすればこれが「見ることの共時性」に関係する物理現象の一種なら、例えば人間において第6感(カズオイシグロ風)をもたらすものが、「量子エンタングルメント」にその原因を求められもし、共感覚的なものは、こうして、我々の文明においては、もしかすると「マイクロ波グリッド」によって実現しているものの婉曲的な表現の結果、好んで流布されるようになった話題に過ぎなかったのではないかと思えてくる。

 

こうなるとクオリアにこだわることは、一時的にその尊厳を失う。それはそうだ。もしかするとホセデルガード的な技術によって、複数の人間が同時に「赤の赤性」について感知する瞬間があり得るのだともなれば。

 

今、我々に必要なのは、宇宙人を探すこと。宇宙人に波動を合わせると何故ゲイになるのか解明すること。つまり、それによって3歳児にまで戻っている自分に正直にフォーカスして見ることなのだ。そこに横たわっている真実はおそらく実体概念としての「白人」が「ロシア人(?)」であったと言うことなのだろう。今世紀にいたってやっと我々は無意識の統合を果たした結果、すべての白人がロシア的でもあることをかつてソルバルウに乗って知ったのかも知れないと言うことを思い返すように思い出したのである。