加速主義とソフトな収容所

主体性のない国民においてこそ消費社会を運営する限りでなければ、アジアの生産基地としての役割は機能停止する。

 

あくなき商品開発の為の実験の末、西欧に商品を供給し続けるには、まず、個人主義を制限しなければならない。個室主義の自由人や独身貴族を排撃する為に、利己主義や悪徳を賛美し、ハードとソフトの二分化を図り、巻き込んで行く。

 

近代化を標榜して文化テロを起されるより先に、背徳ポルノを率先して撒き散らし、まず個室主義者の自由恋愛における敗北を誘うのだ。この目的の為にこそハードポルノはあり、実際の同性愛者は、精神科で隔離されるケースもあり得る。家族が措置入院を要請してしまうことがあるからだ。

 

これは、中学生以来、個人主義を好む様になってより、時折、アメリカ人と思しき白人に直接に睨まれ出した私の結論だ。アジアはすべて体制の違いはあれど、こう言う形に収斂しようとしていると私は感じる。その証拠が加速主義じゃないか?と気がついた。

 

すべて米軍とその下請け的な自衛隊の戦略かも知れなくて、それが為に、何も力の無い私などは囮の様に踊らされ、あげくセンサー縛りの牢獄にいるだけなのだ。

 

それに抵抗し、一般社会へ戻ろうとして、このブログがある。

 

日本の精神科だけはユダヤのソフトな収容所だと言いたくて仕方ないのだ。

 

さも『薔薇の名前』に出てくる中世の教会のように、「主体性」の追求を禁じようとして、かの岸田秀は、日本人の「主体性」を話題にする心象を卑下したのではないか?

 

こんな風に考えてしまうと、岸田秀精神分析学の権威であることが、そのまま、日本の精神分析学の凋落と国民の無能さの証拠でもあり、世界的な恥なのではないか?と言う思いを抱くことさえあります。妄想でしょうかねぇ(笑)?