テデスカドンと新植民地主義についてとか

あの”グー握りリボン”名画の岡本太郎は、単に下着泥棒なのか?

 

もう二度と太郎のような豪傑は出さないぞ、と言う見せしめの祭りの祀りなのか?

 

(下着泥棒イジメが絵描きの世界にあっても不思議じゃないとおじさんは思うぞ。)

 

実人生が、中村主水藤田まこと)の若かりし頃の冗談、「裏からテェ突っ込んで・・・(後略)」じゃなければ良しとしよう(妄想)。

 

 

それはさておき、私は語学が苦手なので良く知らないが、ドイツ語(Tedesca)などの厳密な格変化は、日本語の敬語や丁寧語と同じくらい心理的負荷があるものだろうか?聞けばイタリア語も、普通のイタリア人ですら、時折間違う格式ばった言葉があって、なかなか新聞のようには行かないと言っていた。

 

うーむ。ナチス、いや、ファシズムとは、こう言うことなのか?これが特攻精神の元なのか?幼少期の敬語・丁寧語などの徹底化で、何でも考えたとおり行かないと幻滅する性格にしておいて、結局は、言葉を軽視した犬猫のインターフェイスで締め上げるのか?過酷な肉体労働への追い込みなど。

 

(そう言えば、小学生の頃、格変化が敬語などと何かにおいて同じと言おうとして、慌てて隠していた子供が居たけれどね。おぉ、ここで繋がったぜ。)

 

 

 

・・・では、何故、日本人だけがあからさまに特攻したのか?それ程小さくも無いが半ば特攻艇のような小型の潜水艇であってもナチスドイツですら脱出ハッチをつける感性は何故なのか(毎度)?

 

時折、色々、考えます。例えば単語や概念の感情的価値をもとにリンクの優先順位度を見れば、その時の文章の精神状態が推し量れるだろうかとか?言葉をすべて色でランク付けしてしまえば良いが、それには初期のブログに書いた自分の日記の分析のように単語出現頻度から割り切ってランクしたり、暗いイメージか、明るいイメージか、などが手始めだろうか?

 

脱出ハッチは、身体優位の信頼性を意味していないか?あるいは逆に、白人至上主義的な楽観論が人権思想にさえも混入していないかとか。文化的要素をランク付けして分析も出来ないか?

 

(こうも音声送信や幻聴地獄を当たり前のように押し付ける感性を見ていると、そう考え始めますよ。ずいぶんましにはなりましたが。)

 

・・・創価学会だか何だか知らないけど、別に日本ファシズムを煽りに持ち上げこそすれ、その日本文化の精神性の最悪の欠点だとか、誰も教えてくれんよね。「なんとかのちょっと良いとこ見てみよう・・・・(昔の一気飲みの掛け声)」ばりに。早く死ねと思ってるだけだった気がすると言えば良いか・・・。