自由への飛翔(しかしまた妄想上の)

昨日は夜中にハクビシンを見た。すぐに近隣の交番に報告したら、●●へ行く途中の武者小路実篤記念館への案内標識があったりする近くの森から来ているらしい。そこら辺りは真夜中に地面を見ていると、きりがね細工みたいに小気味よく反り返る小さなムカデが道路の数ミリ程度の穴へ逃げ込んでいったりする。あれれこいつは人体に穴を空けそうだぞと久しぶりに寒気がした。

帰り際には、光線の具合に過ぎないかも知れないが、青白い顔をした外国人が歩いて通過した。やっぱり、熱帯化すると人生ハードモードなのは外国人もそうだろう。

 


<<これまでの類推>>

仮に「漢字2.0」は日本語とすると、複雑な表記に更に独特の丁寧語・敬語表現が加わっていて、言い回しにうるさい女優のような言語なのかも知れない。「右脳パン君」で「左脳パンパン」で「外国語が苦手」は置いておいても。そこで小泉政権以降のオカマ国家ジャパン(クールジャパン)戦略で窮地に陥ったと勝手に推理していたが、どうもカルト教団(?)の単純頑迷な白人至上主義者を見ていると、こいつは1メートル90センチの黒人が同じくらい乱暴だったらその場は無視するのだろうなと思うことでも、俺がチビだったりするからか、俺の場合は「ユビキタス白人至上主義ルール」があります、みたいな顔をして脅す様に暴言を吐いてくると感じる。それくらいバイト中でもオフィシャルじゃない応対をしていると1メートル90センチの黒人の前に立つ自分の態度と俺の前に立つ自分の態度との違いに良心の呵責はないのか?他に差別思想を隠し持っているのか?と言う感慨を得て、結局、日本人のような敬語表現が希薄だから気配りのバランスが甘いのだろうかと困惑する結果になった。

 

(そう言うアジア人がいたら、白人の言うことを聞いていたら白人の嫁がもらえたり信者格が上がると思って熱心なのだろうか?)

 

「漢字3.0」はハングルだ。これは簡略化し過ぎて上層があきらかに二重言語化してきていないか?これは日本もアメリカ軍がいる以上似たようなものかも知れないが韓国人のアメリカ進出が一頃は華々しかったので。その証拠としての「従軍慰安婦像」なのかと思っていた。最近は、米軍こそが慰安婦をブレインジャックで現に今ここで作ったりしないか疑うレベルの病に(笑)。また、李朝時代に流民を大量に出したことなどが史実からも伺えるが、識字率の悪い時代だったかも知れないしよく分らない。これから調べます。しかし、簡易な表記体系の文字は流民化傾向を孕むのではないかと推理する元となった。


「漢字4.0」は簡体字の中国だ。これもよく分らない。昭和の時代の冗談としての「漢字奴隷」は、数学・英語が苦手な日本人以外には、まさにこの中国だ。あの時代よりは遥かに発展しているので隔世の感があるとは言え、まだまだ油断できないくらい恐ろしいと思う。チャイナスタディなんて知ると、なんだ?これは各国が寄り集まって対処してアフリカ並みに困っていたのかよ、と驚く。もちろん、個人的には、実態はそうでもなくて他に理由があると疑っているけれど妄想かもしれない(笑)。


最近は、またニュースでタイ文字を見る機会があって、タイ文字⇔ハングル文字 のスケールでドローイングや草書体の参考にできないかとか夢想します。もし上手く行けばこれは「漢字5.0」なのになぁ、とか。まぁ、漫画文字とか丸文字とか携帯フォントの言葉とか色々もっと良い5.0的な例はあると思うので、私が勝手に定義するのはおこがましいのだけれど。

 

そこで「漢字3.0」のところで気がついた簡素表記体系文字・文化の流民化傾向について。そもそも欧州語が皆アルファベットのファミリーで、とりあえず自分の国の読み方で外国のアルファベット的な表記の言語が読めること。読み方が分らないと言われるラテン語もイタリア人は平気で現代イタリア語発音で読んでいたりすること、などから考えて、これは言語がすべて平仮名の勢いなんじゃないか?と言う推理になって来た。

 

更に加えると、抽象理念に基く紐帯を特長とする多民族国家形成は、自国軍兵士⇔外国人傭兵部隊 のような戦力の弱体化スケール(忠誠心や敵前逃亡の可能性だろうかね?)が存在することを考えると、まぁ、そんなもの近世・近代以降の話で、ひょっとしたら第一次世界大戦塹壕戦争くらいまでの常識かも知れないと疑ってみることは可能だけど、そこは一先ず置いておいて、総じて見るとこれも流民化への一因かも知れないと気がついた。


こう言うことが要因となって多国籍企業の国際間の労働力移動があるのだろうか?もちろん、実態は米軍の庇護が最も大きいのだろうけど、「夫婦共働き」の増加とかがこれに強く影響されているのなら、その為の「ポップカルチャー」であり、「TVディナー(レンジ調理飯)」であり、「性的マイノリティー」のアドボカシーであったのだろうか?

 

ーーーここまでーーーー

 

過酷な熱帯化。そろそろここも山奥みたいにムカデが出てくるのだろうか?

ゴキブリの数は水洗化率の低い時代の南国を超えたか超えないか。

 

都内はイギリスの物質転送で平行世界において地縛霊になったロシア人のゲイが出没しそうな昨今ではあるが、そう言う量子光学迷彩的な透明化技術によってハクビシンが共存しているのじゃないことを祈るばかりである。

 

 ※カルト教団への入信は自我の全面投棄を迫られると言う妄想めいた警戒感がある。一瞬で顔が二重から一重の垂れ目顔に変わる技術を目の前で見ているので、もしかすると野生の統合失調症以外は、すべて地縛霊なのだろうか?それくらい仕事以外の人格の一貫性、エピソード記憶などが疑わしいのが連動した野次の飛ぶ集団だ。本当に近代的自我を持っていないのだよね(最初から白人の傀儡国家と言う意識しか無い)。軽くていつも冗談ばかり。これに気を取られて、真似して嫌味をしていたけど、そろそろ飽きてきたと言うか、このスタイルもある程度で頭打ちの可能性を考え始めないとね。犬猫のインターフェイスで語る。身体で分らせる。と言うスタイルと言うか、ダンス押し?これからはもう少し大人にならないとなぁ。まぁ踊れないからだけど(笑)。

 

※それで、思い返せば小学背の頃、件の山口ボクサーみたいな風体のチンピラが街路でゴムボールなどで遊んでいた時、自分の傍で、「まず、敬語漬けにする」とか教育方針を誰かと話していた。どうしてだろう誰の家庭の話しなのか?と訝しく察知していた記憶があるのだけど、あれだね。悪く取れば、敬語とか丁寧語を若い頃に徹底すると、何でも頭で考えたとおりに行かないとがっかりする潔癖症の人間になると言えば良いのか、あるいは将来どこかの教育機関で、何々先生は家訓のある御家の出身ですよ、とか言われるとフラーっとついていってしまう人間になるなどあるのではないか?逆さマトリョーシカがかかりやすいと言うべきか。カマトト張りの二重性にするとか。そうすると、もう、これは昭和の時代から存在する教育にまで関与したタイプの人格介入?であって、ヤクザは同じ出身学校のクラスメイトから激しくぼった喰った方が事前の調査費が安く上がると言う合理性があるみたいなことか?やっぱりいつも殴ったり野次が飛ぶのに「親友だろ」とか言い出したら本当に一家丸ごと危ないのだ。縁を切るのが青銅(脳天唐太刀割(棒っ子?)≒三星堆の青銅縦目仮面)。あちこちにアメリカ人の密偵がいるようなものだねこれは。まぁしかし、俺を見てあのチンピラは「ササラ列車!」とか言っていたんだが、何だろうな?北海道の網走鑑別所?白い女が好きなら雪掻きしろ(ラッセル車両でも見て暮らすのか)?日本人形の作り方(呪ってろって言うのか)?南極2号だったかは、「ござ」か「よしず」程度にでかくないか(もしかして「床オナニー」のことか)?俺の家の事情、当時から察知しているだろ?

 

 それで幼少期の徹底した敬語がある種、「特攻」する心象の内の何割かだと言っても過言ではないのじゃないか?「もったいない」根性だとか(笑)。Take it easy 、man!とか言われちゃうよ。南無阿弥陀仏。世界情勢はまったく逆。将来、少数民族化しそうな膠着語族どもが特に敬語を使い、お互い憎しみあっている。これもある種米系の扇情に乗った結果であれば、英語を格変化を捨ててしまった奴隷言語と笑っていられない。実際は、科学論文の標準言語(もちろん私は分りませんよ)。

 

幼少期に敬語や丁寧語で徹底しておいて、頭で考えたとおりに行かないとガッカリする性格に仕立ててから(結果的にであれ)、普段は犬猫のインターフェイスでしか語らない、では辟易する。「マーガリンは腹を下すから止めろ」と言えば、マーガリンパンばかり買ってくる。自己判断をするな、と言いたいならそう言えば良いだけだが、とかく犬猫のインターフェイスでしか示さない。マーガリンパンを買う家族がいることは幸せだが、その昔、一度、共産主義者めいたことを言ったからか、どうも家庭を設けた本人以外に仕事が無く、私はニートにならざるを得なかったと言えば、本当の事情を知りたくなるものだ。それでマーガリンパンに怒れば、病院へ行くべきだと逃げを打つ。いや、もう脅しや迫害のレベルだ。そんなある日、電車で「市ヶ谷」など通り過ぎれば、降車時にドア際で、小太りのサラリーマンが、「早く出て行けば良いのになぁ」と聞こえよがしに会話している風だったりする。あれれ飯田橋だっただろうか?まぁ、これで神経遮断薬では世間を呪うね。なんて卑怯なのかと。この25年、周り中、一切私の要求は聞かないものだ。視線や会話のブロックばかりでまともに話しが進んだことがないねぇ。相手からの一方通行のみ。このブログも今まで、ほぼ話しかけたものは皆無だ。街路では関連していそうなすれすれの野次が飛ぶことはあるけどね。初期のブログでは、書き込んでくれば、「蝶の写真が綺麗ですね」とか戸籍を割った親戚に関与するとプッシュしているだけのようにも疑える。秘密投薬の為に縁を切らざるを得なかったのだ。その後など単独であの絶妙な蜘蛛の写真を撮っても直接的には手応えなしだ。しかし、街路の野次は次第に減ったと言う効果は得た。それで社会参加しろと言いたいのか、昨日は若者が、「参加した方が良いと思わないの」だとかそんなことを一言ばかり言っていたような気がするね。参加しているでしょう。この時とばかりに一部の格闘技好きの喧嘩と精神医療の実態を書いている(笑)。こんなチャンスはもう一生で一度きり。最後の最後だろう。2018/07/18