原始心母(not atomic)

音声送信によるバイモードでの空手形発布。

(架空のリビドーのやり取り)

→誰は逮捕された/誰は飛び降りた・・・etc

 

願望? 探り?

ベクトル誘導的な・・・思考の向性に合成偏向をもたらす波紋の一石・・・両サイドから(あるいは脳内から)ノイズの投擲、ごく微弱ながら本日も多数あり。

 

相手は誰であれ、することもなければ(解けない難問を前に)、とりあえず相反する期待に寄せてこちらも思考のガーベージを流してみるのだ。後でどれかが釣れるのを待って。

 

(メモリー♪私を抱いて~♪)

 

これは気の長い仕掛けだ。

しかし、慣れればそれ程長い時間でも無い。


思考の散逸と凝集を繰り返すうちには、次第に集積されるそれらが、ある期待値に絡むその周縁群のガーベージだと気がつく。

このガーベージを何かの台詞回しよろしくアクターに成りきって唱えておくと、後で期待値を含むより上位レベルの概念で合意形成が図られることが多い。これは個人の脳内での話だ。

 

それは超然としてそこに在りながらまるで時空を跳躍した体験だ。今となっては、もはや、いつからそうだったかさえ分からない。それくらいあるアイデアが自分の生活に変化をもたらすと、以前の自分は異なって見えるものだ。


マインド・シャッフルは、時にこうして隠された過去との関係を可能にする。後は呼び出した過去(ガーベージ)を新たな未来に投影し、重ねてみるだけだ。そうして・・・でも、それは・・・しかし、現在の言葉で語られるから、やはり未来なんかではないはずなんだが、後で振り返ると、その時未来だったものの断片であり、一部だったりするものだ。


もし、こうだったら?

と言うごっこ遊びは、相反した反世界の空想からも行き着きやすい。

例)通常ありえない。あるものがない。

→もしも正義の存在しない社会があれば?

・・・ギャングの世界?赤信号を皆で渡ることで恐怖を感じない世界?

ここからの類推・・・

→皆、猫だろうかね?(笑)


漢字文化圏の書生の速度じゃないね。武道家の世界なら?男の風下にも置けぬと言われるか?(最近は言わない傾向が強い)

→人類の成長が200年かけて起こる世界になればどうだろう?

(これは自立していない中2病のような夢?)

・・・エンドレス(笑)。

 

・・・ネットをこのように使えないものか?等々、考えることはあります。
いや、使っています。超ソロ社会代表例的な(笑)。


<<・・・以下は久しぶりに岡本太郎の写真を見てうなされた妄想の話>>

非在と実在の間。イリュージョンとマチエールに代表されるような。
この極端な乖離が、まるで『熱いハートと冷たい頭脳』そのものだ。『熱い抽象と冷たい抽象』と言われる問題があったりするし。

機能主義的な要素分解風の・・・その行為の質料性や塗り方の規則における、あきらかに後で視線が辿ることを想定した筆跡の・・・抜き差しならない手際のよさ、手錬、絵の具の盛り上がり、レリーフ状の隈取などなど。


何らかの原理主義的な観念体系の存在を予感させ、ここに抽象画の方法論が遂に完成し、達成されていると言うような圧倒感。初めて見ると衝撃を受ける。


それらへの羨望。


整理整頓された冷たい頭脳はまたどうして?

(俺の知らない教育を受けてやがるぜ!!!)

 

しかし、まじまじとマチエールを見ると、分厚い塗りが多用され抽象表現主義そのものでもあったりして、なんとも熱気を帯びている。


それで、詳しく塗り方を辿ると、理知的で常人の知らない規則がありそうで、破綻がなく、下手すると0.5ミリ単位で責任が保たれている。

破綻に見えて破綻じゃない。


ストロークの勢いはあきらかに一度描いた具象イメージを蹂躙して破壊しているかのように見える。例えば豚毛の厚塗りの勢いやナイフのコテ塗り。

その図地の連合艦隊における拡散する所と凝集する所など。上下左右の差替え等。つまり高さや距離の間引き。粗密の変化。溶かし込む仕掛け。あっと驚く認識の妙。

 

他の何かに見えてそれと容易に認識されない塗り方の規則や融和融合。例えば輪郭線が強ければ、輪郭線につられてマチエールよりもイリュージョンの方が先に見える。この時熱い荒々しい絵筆のストロークは一瞬忘れられていたりする。これはデッサン力か、テン毛や面相筆の隠れた補筆の仕事があるから。


しかも、こう言うのが芸大を目指す人の予備校程度の絵画なのだから、嫌になる。

(奴らのいわく「太郎は紙テープビラビラ」だって。)

 

<<尖端恐怖症>>
朝、目を覚まして壁のコーナーや特に凸側の、天井の張り渡しや喚気ダクトの出っ張りによる角に視線が向かうと、何だか刺々しくて痛々しい感じがする。


無響音室のスポンジの様なトゲトゲを壁一面に貼ってインスタレーション作品とした人がかつて存在したと言う。専門学校生が話していた。尖端恐怖症をテーマとしていた様だが、これは女の子が話題にしていたので、女の子の無意識の表れだ。キュビズム実習の後と言えば、本当はあの立体が角ばって痛々しいと言うことだろうか?調子が悪くて久しぶりに訪れたので、あの時以来止まっているのだろうと面白がられてしまった。


言ってみれば、パスキンの塗りのように、綿ボコリのような柔らかい調子。また、マリー・ローランサンの様な、一見、形態への希薄さとも取れる流線型の塗り。こう言うのがより女性的な要素なのかも知れない。

 

色彩偏重とは、立体を「掘り起こす」意識ではなくて、色を「塗り伸ばす」時の「伸」の方、浸透する液滴を見届けて滲む紙を観察する感性、刺繍の縫い目を揃えて輝きが生じるのを期待する感性などなど?

決して画面に対して刻む感性とばかりも言えない。これは統計的にそうであろう。ストロークから言えば、神経系の明滅と言う意味でのサージ電流やギャップ放電のような荒々しい幼児的で乱暴な表現もあり得るが、あまり知性を伴わないと、「熱いハートと冷たい頭脳」みたいなことは起きないだろう。

 

(放電であれば、インスピレーションや霊感の表現だが、性が霊的行為の一種で無いわけが無いという開き直りも、この際、地球上の生物として自覚するべきだ。)

 

ブリジット・ライリーやバーネットニューマンの帯。また、幼児的でビビッドな色彩。カラーフィールド・ペインティングと呼ばれるもので、当時のインタビュー記事からはある意味で非人間的な配列を追求しているとも受け取れたが、やっぱり、なぜ帯なのか?・・・もしや、ある時期の岡本太郎の女性性は、帯において最も顕著に観察される?

 

始原の形態。2頭身的な魑魅魍魎。何か幼児退行的な。そして十二単のような色の帯。


マチエールへの意外に平凡な解決策。そっけなさ。しかし、何度も塗られて発色がすこぶる良い。

 

おぼつかない、夢のイメージを定着させる為の最中、もし作者が絵画のセオリーを熟知していなかったり、まだ分からない原理に夢中である時などは、おそらくその不確かな位置を確かめるべく、強く筆を画面に押し当てるのではないか?セザンヌの一部の絵のように?

 

(グー握りリボンの秘密は、あの蝶を捕まえる腕力!)

 

岡本太郎には、リボンと力強い手の描写された有名な絵がある。他にも疑惑を招きかねないおかしなエロチックな彫刻が。樹洞そのものとか(うこれは中村主水の若かりし日の冗談?)。

 

永遠の幼少期と、曲線または渦。2頭身の魑魅魍魎。

ある種、宮崎ワールドのように。『もののけ姫』のようだ。そして、考えられるのは母親の存在への偏重ぶりだろうかね?

 

うーむ。何とも恐ろしい縄文地獄。

 

 


ホーミすら語ることも許されないのか?キリスト教系大学の一部?ついでながらフランス語講師?


そして、アートは宗教絵画のみなのか?キリスト教系大学の精神医学まわりは。


(一度、腹パンチ食らえよ。進化するぜ。)

 

そんな感じの人の一部に、そのうち訴えるよ、とか縄文展で言われた気がするが、他人の空似だろうね。男じゃないだろうし。臓物鍋と言ったからかな(笑)。本物は波そのものの表現だった。

 

統合失調症は知能が低いのじゃないかと言う偏見は、実は、医者や福祉系の方にあるのが明らかだ。知能の低い方にあわせないとストレスで発狂するかのように言う。しかし、これは実態と異なる場合が多い。いじめているのが、医者だからだ。そしてまた、カルト教団など。

 

たしかに会場で、久しぶりに腹が鳴っていた。まぁ、それはストレス逼迫なのですぐに出た。毎度どうもごめんなさい。

 

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 ※結局、知っている人は誰も逮捕されないしニュースにならない。音声送信はいつも嘘ばかり。本当に幻聴様の音声は微かになったのでストレスは低減して以前より楽になった。もう気配程度だ。本当に。しかし、すぐ近隣の工事現場などからリアルの野次も重なる。こう言うのに完全同意して日本人としての戦いを諦めて生活に追われる人しか、もう、東京にはいないと本気で思う。私は働かずに抵抗し続けています。それと文中の「反世界」だとか、「岡本太郎」に関する記述は、実際の「岡本太郎」と関係なく、私の考える妄想の「岡本太郎風世界」です。